私の"忘れ得ぬ症例" - わたなべクリニク院長雑記

私の"忘れ得ぬ症例"

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以下は平成17年度に鳥取大学医学部同窓会誌に寄稿したものです。この後にも、いろいろ忘れてはいけない患者さんに出会っております。

 

現在(平成17年),私は鳥取県立中央病院に泌尿器科医長として勤務すること3年目を迎えていますが,基幹病院であるため排尿障害から泌尿器癌,外傷,小児泌尿器まで来る症例は様々です.来る球,来る球を辛うじて打ち返している毎日と言ったところでしょうか.赴任初年度には,髪は抜けるし,老眼も始まるしと,厄年であることを痛感させられました.市中病院では,過去の論文や留学も何の意味も持ちません.標準的な治療を施行し,標準的な結果を出すことが最も要求されています.また,最近では専門分野以外にクリニカルパスや病院感染の分野にも精通している必要があり気が抜けません.最近の医療のマニュアル化は,若い先生達のリサーチマインドを冷めさすのではないかと心配したりもしています.しかし,ご存知のように現実の医療はバリアンスの連続で思惑通りいかないものです.そして,その度に強い決断力を必要とし,そこに医療の真髄があるのだと思っています.本稿では,決断力が試された"忘れ得ぬ症例"を回想してみたいと思います.

その患児(2歳)はシスチン尿症のため,鳥大泌尿器科に紹介されてやって来ました.受診時,右腎は尿管結石のため既に無機能腎であり,残された左腎内にもサンゴ状結石を認め,早晩に腎不全になる状態でした.シスチン結石は硬いため体外衝撃波での完全破砕の見込みは少なく,内視鏡的治療が必要と判断しました.手術は左腎に腎瘻を作成し,そこから内視鏡を挿入し結石を破砕しなくてはなりません.しかし,この経皮的腎切石術は成人では多々ありますが,2歳の患児に施行した経験がありません(註:海外の文献には報告はありました).外科的侵襲により左腎機能の低下が生じることは腎不全を意味します.検討し尽くした上の最善の選択とは言え,その子の今後の人生を想像すると当時の私には決断がつきませんでした.悩んだ末,教授の部屋を訪ね,手術へ踏み切れない気持ちを正直に告げました.教授は,その場で内視鏡治療で有名な先生に電話され,手術の注意点を幾つか聞かれた後,技術的には問題はないのだから自信を持つようにと言われました.私は覚悟を決めました.手術が滞りなくできるように何度もシミュレーションを行い,遂に手術当日を迎えました.手術は頼りになる同期の先生に助手をしてもらい,多くの医局員が見守る中で始まりました.挿管され手術台で腹臥位にされた患児は,本当に小さく胸が詰まる気持ちでしたが,術者である私は手術に集中しなければなりません.超音波プローベで左腎を描出しましたが,腎臓は体表から数センチの位置にあり,通常の針でも腎杯まで届きそうでした.私は特製の穿刺針を持ち,わずかに拡張した腎杯を目指して一気に針を刺入しました.乳児の体は水分が多く含まれているせいか柔らかく,一番肝心な腎杯穿刺は想像以上に容易でした.穿刺針が腎杯に入った瞬間,教授が"よし!"と背後から言われたことを今でも思い出します.そして,出血の危険のある腎瘻拡張も問題なく施行でき,周りの先生に励まされながら腎盃鏡を用いて無事に結石を破砕することができたのです.患児は,術後も順調で予定通り退院されました.日々の臨床では良い結末ばかりではなく,自分自身にとってトラウマになるような"忘れ得ぬ症例"もあります.しかし,これらの経験がマニュアルを超えた骨太な医療となるのだと信じて,これからも頑張らなければならないのだと思っています.


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このページは、watacliが2012年4月17日 14:47に書いたブログ記事です。

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