わたなべクリニク院長雑記: 院長雑記アーカイブ

院長雑記の最近のブログ記事

19.jpg
1.jpg
鏡視下手術は基幹病院での手術援助症例




 20年前Stanfordでお世話になった方がフランスのブーレズ・パスカル賞を取られたとの報告が年賀状でありました。不覚にもブーレズ・パスカル賞を存じあげていなかったので調べてみるとノーベル賞受賞者もこの賞を多く受賞しているらしく、受賞者はパリ大学に招聘され1年半の間、研究と講演をする栄誉が与えられるようです。お正月から学問に身を捧げる人の成果を聞けて本物の学者の生き様に感動しました。大学の留学生センターでアパート探しに途方に暮れている時、声を掛けてくれた初めての日本人が奥様でした。疲れ切っていた私をよっぽど哀れに思われたのかその日の夕食に招いていただき、美味しい手作り料理で生き返ったことを思い出します。現地の医学系留学生は一様に耐乏生活でしたが、ご夫婦は省庁からの派遣なので車も2台支給されてMenlo Parkの高級アパートに住んでおられました。1995年頃はインターネットの創成期でしたので、私はメールを使った経験もなく留学前は米国とはFAXでやりとりをしていました。いきなりメールアドレスを聞かれて恥をかいた覚えがあります。メールでなんでもできる今とは隔世の感があります。

 私の住まいとなったCalifornia ave.界隈ではgoogleなどが産声をあげていたようですがその存在を知るのはもっと後になってでした。Hewlett-Packardの敷地の間を通って研究室に毎日通い、波乗りに行くときはいつもAppleの建物を横目で見ながらfreewayを車で走ってました。大学内にはMicrosoft寄贈の校舎も建造中でした。まさにITの勢いを感じる頃だったと思います。しかしながら私の周りにはIT関係者はおらず、正直言うと当時はその本当の可能性を理解しておりませんでした。ただ、世界中の研究者がStanfordに集い切磋琢磨している事は肌で感じておりました。私のアパートの隣は神戸大学の医師で不夜城の研究室で猛烈に研究しており、階下はウイーン大学のウイルス学者の家族が住んでおりました。途中でお隣さんが理化学研究所の統計学者に変わったので統計の相談に行ったら、半端なく深い話になりまったく理解不能でしたが数学者の奥深さだけは理解できました。気楽に人に聞いてはいけないものだと反省した覚えもあります。大学周辺のカフェには週末はのんびりと新聞を読んでいる人達が沢山いますが、この中にノーベル賞の人もいるんだろうな〜と密かに思いながら家族と朝食を摂っていました。今でもStanfordには3〜4年に1回は訪れますが、Facebookの本拠地にもなっており時代の流れの傍観者のような気分になり、自分も齢を重ねているのだと自覚させられます。

臨床医と研究

| コメント(0) | トラックバック(0)

 

 この原稿を書いている12月下旬には、新聞には毎日のように全国高校ラグビー大会の勝敗が掲載されている。私もレベルが違うながら高校から大学までラグビーをしていた。私の高校は公立高校ながらスポーツが盛んであり、母校自慢になるが最近ではサッカー部が全国大会に出たりするほどであり、我がラグビー部も都内4強となり関東大会にも出ている。その反面、いわゆる進学校としては中堅であり国立医学部に進学する人は2年に一人程度であった。私自身は高校2年生の春にいろいろな本や人との出会いがあり、偶然に近い形で医学部を目指す決意をしたが高校三年生の10月までラグビーを続けた。

 当時の私を悩ませていたのは、"医学部に行くのが目標であるのに、なぜラグビーを続けているのか?"であった。"スポーツが人間形成に役に立つからである"・・などの言葉は空虚だし、高校生がそんな事を自覚する訳がない。戦前生まれの親を含む大人から見れば高校スポーツなどは、遊びの範疇にしかすぎないことも自覚していた。ただ、意義が見いだせなくてもラグビーを続ける必要を感じていたし、部活の仲間と最後までやり遂げなくては受験勉強が始まらないという根拠のない決意だけがあった。

 同じような悩みは医師になってからもあった。研究論文を書くことである。スタンフォード大学に留学していた時、米国の医師はほとんど実験などしない事を知った。医学部自体が大学院の位置づけであるから、他学部を卒業してから大学院である医学部に入学するので基礎研究などはしない。ひたすら臨床の勉強と技術修得に明け暮れるています。米国テレビドラマのERを見れば 容易に想像してもらえると思う。臨床医の研究論文は、もっぱら臨床統計か新しい治療についてである。臨床医の私としては、研究、特に動物を使う基礎研究は臨床にすぐに還元される訳ではないので意義を見いだすことが出来ませんでした。おそらく多くの研究者も同じだと思うが、"患者さんのために"と言う研究の大義や目標はあるだろうが、いったん実験を始めたら目の前の結果を追い求めてひたすら走るのみとなる。ノーベル賞を受賞した山中教授でさえも、実験をしている時は脇目も振らずただひたすらに目の前の課題を頑張っていたに違いない。研究には学術書や学会などのための金銭的な負担も多いし、論文を書いても収入が増えるわけでもない。臨床の合間や夜や休日に実験や論文を書いたりする必要がある。まして手術が上手くなる訳でもない。"論文を書く医師は手術ができない"とあげつらう風潮もあったので余計に臨床を頑張る必要があった。よく医学生や若い先生に研究の意義はなんですか?みたいな質問を受けたが、上手く説明ができないのがつらいところであった。

 最近では多くの疾患のガイドラインが整備されているので、日本全国どこでも現時点で妥当だとされる標準治療が均一におこなわれている(・・はずである)。ですから、論文を読まずしても学会のガイドラインを読み込めば見当外れな治療もすることも少ない。最近のレジデントの仕事を見ると、画一的で捌いているだけにも見える事もあるが、ガイドラインが作成されるに至った臨床・基礎論文などの背景の理解は臨床現場ではあまり必要とされない。例えるなら車の仕組みは知らなくても車を上手く運転できれば良いのだ、という考えである。ただし、昔と異なり若い医師がマスターすべき手技や手術は膨大になっているので、彼らを非難する理由もないとも感じている。昔の車は簡単な構造なので自分で修理して自分で運転できていたとも言える。最近の技術認定医や技術セミナーなどの多さは20年前とは比べられないほど充実しているし、この技術重視の傾向は患者さんにとっても好ましいことであり、医師の技量のアベレージを担保するには良い方法だという見方もできる。

 では研究論文を書くことや留学(最近の日本では留学希望者が減っている傾向にあるが)は臨床医にとってもはや優先順位の低いことなのか?と問われれば "No"と答えるだろう。ラグビーが私を成長(?)させてくれたように、研究経験が臨床事象を深く考え調べる習慣をつけてくれたし、その疾患の背景を深く理解させてくれた思いたい。結局のところは、人を動かすのは損得や意義など問わぬ情動だと思っている。三島由紀夫の"葉隠入門"には、"いつたん行動原理としてエネルギーの正当性を認めれば、エネルギーの原理に従ふほかはない。獅子は荒野のかたなにまで突つ走つていくほかはない。それのみが獅子が獅子であることを証明するのである。"とある。振り返れば、損得や意義を見いだせなくても続けた高校時代のラグビーのおかげで大学受験や米国医学試験や幾つかの研究をやり遂げられたようにも思える。やはり、"スポーツが人間形成に役に立つ"と言うのは本当なのかもしれない。

今回は米子の山本先生(山本泌尿器科クリニック理事長)のブログの引用です。

こんなことあったな と思い出しました。

あの頃は慢性的に寝不足か二日酔のどちらかでHCUのブラインドから差し込む朝日が眩しかったのを思い出します。

医者に成り立ての頃はなにも出来ず、患者さんにしてあげられることも限られていて、歯がゆい気持ちをいつも持っていました。

経験を積んだ今は、"できること""できないこと"がハッキリわかり余計に辛いこともあります。

 

山本先生のブログ・・・

パックのオレンジジュースを見ると思い出す患者さんがおられます。

僕が研修医一年目の膀胱癌の患者さんです。

シナ事変から太平洋戦争にかけての歴戦の勇士で、名前はKさん。ガンの大手術をうけられて、HCU(ICUと一般病棟の中間、HIGH CARE UNIT)におられました。本当に温厚で楽観的でいい方でした。


手術後、呼吸機能が悪く酸素分圧が上がらず、栄養状態も少しずつ悪くなってきてました。

ある日、僕と同期のS先生、二年先輩のW先生とガーゼ交換に行きました。

 

「Kさん、どうですか?」

 

「えらいいとこはないけど・・・」息も荒く明らかにさせ我慢しているのがわかります。

 

「何かほしいものはありませんか?」とW先生

 

「オレンジジュース・・・」

 

「・・・・・・・」

 

突然W先生が

 

「おい、おまえら売店にいってこい!!!」

 

「はい?、いいんですか?」

 

「行ってこい!!っていってんだろ!!」関東弁の巻き舌で怒鳴るW先生。

 

「あの・・・・・」

 

「おめーーらが行くんだよ!!ごちゃごちゃ言わずに行ってこい!!!」

 

「はいっ!!」と二人で一階の売店に走りました。

 


そのオレンジジュースをKさんはとても美味しそうに飲んでくれました。

それから数週間後、歴戦の勇士は亡くなられました。

おわり。

以下は平成17年度に鳥取大学医学部同窓会誌に寄稿したものです。この後にも、いろいろ忘れてはいけない患者さんに出会っております。

 

現在(平成17年),私は鳥取県立中央病院に泌尿器科医長として勤務すること3年目を迎えていますが,基幹病院であるため排尿障害から泌尿器癌,外傷,小児泌尿器まで来る症例は様々です.来る球,来る球を辛うじて打ち返している毎日と言ったところでしょうか.赴任初年度には,髪は抜けるし,老眼も始まるしと,厄年であることを痛感させられました.市中病院では,過去の論文や留学も何の意味も持ちません.標準的な治療を施行し,標準的な結果を出すことが最も要求されています.また,最近では専門分野以外にクリニカルパスや病院感染の分野にも精通している必要があり気が抜けません.最近の医療のマニュアル化は,若い先生達のリサーチマインドを冷めさすのではないかと心配したりもしています.しかし,ご存知のように現実の医療はバリアンスの連続で思惑通りいかないものです.そして,その度に強い決断力を必要とし,そこに医療の真髄があるのだと思っています.本稿では,決断力が試された"忘れ得ぬ症例"を回想してみたいと思います.

その患児(2歳)はシスチン尿症のため,鳥大泌尿器科に紹介されてやって来ました.受診時,右腎は尿管結石のため既に無機能腎であり,残された左腎内にもサンゴ状結石を認め,早晩に腎不全になる状態でした.シスチン結石は硬いため体外衝撃波での完全破砕の見込みは少なく,内視鏡的治療が必要と判断しました.手術は左腎に腎瘻を作成し,そこから内視鏡を挿入し結石を破砕しなくてはなりません.しかし,この経皮的腎切石術は成人では多々ありますが,2歳の患児に施行した経験がありません(註:海外の文献には報告はありました).外科的侵襲により左腎機能の低下が生じることは腎不全を意味します.検討し尽くした上の最善の選択とは言え,その子の今後の人生を想像すると当時の私には決断がつきませんでした.悩んだ末,教授の部屋を訪ね,手術へ踏み切れない気持ちを正直に告げました.教授は,その場で内視鏡治療で有名な先生に電話され,手術の注意点を幾つか聞かれた後,技術的には問題はないのだから自信を持つようにと言われました.私は覚悟を決めました.手術が滞りなくできるように何度もシミュレーションを行い,遂に手術当日を迎えました.手術は頼りになる同期の先生に助手をしてもらい,多くの医局員が見守る中で始まりました.挿管され手術台で腹臥位にされた患児は,本当に小さく胸が詰まる気持ちでしたが,術者である私は手術に集中しなければなりません.超音波プローベで左腎を描出しましたが,腎臓は体表から数センチの位置にあり,通常の針でも腎杯まで届きそうでした.私は特製の穿刺針を持ち,わずかに拡張した腎杯を目指して一気に針を刺入しました.乳児の体は水分が多く含まれているせいか柔らかく,一番肝心な腎杯穿刺は想像以上に容易でした.穿刺針が腎杯に入った瞬間,教授が"よし!"と背後から言われたことを今でも思い出します.そして,出血の危険のある腎瘻拡張も問題なく施行でき,周りの先生に励まされながら腎盃鏡を用いて無事に結石を破砕することができたのです.患児は,術後も順調で予定通り退院されました.日々の臨床では良い結末ばかりではなく,自分自身にとってトラウマになるような"忘れ得ぬ症例"もあります.しかし,これらの経験がマニュアルを超えた骨太な医療となるのだと信じて,これからも頑張らなければならないのだと思っています.


生活習慣病という言葉が定着して久しいですが、考えてみれば良くできたネーミングと思ってしまいます。生活習慣病と呼ばれる高脂血症 高血圧 糖尿病 狭心症 心筋梗塞 脳卒中などは、多くは肥満から始まります。この肥満は、食生活が原因ですし、高血圧の原因となる塩分も醤油や味噌をよく使う日本食という生活習慣がベースにあります。

"食生活を変えろ"と医師や栄養士は簡単に言いますが、食生活を変えることは そのひとのライフスタイルを変えることを意味します。ダイエットしてはリバウンドしている自分の10年を省みれば、染みついてライフスタイルを心底から変えない限り生活習慣病は治らないのだなと実感しています。

先日 ある泌尿器癌で入院した70台前半の患者さんが 誤嚥性肺炎を起こした。入院前より脳梗塞後遺症があり発語障害 嚥下障害があったそうで家人も誤嚥をいつも心配していたそうである。入院してから環境が変わったせいか夜間せん妄を繰り返し、深夜勤務の看護師さんに苦労を掛けていた。

ちなみに"せん妄"とは意識混濁状態で幻覚などのため暴れたり訳の分からぬ事を言ったりする状態である。普段は紳士であった方なのに夜間せん妄で大暴れする方も少なくはない。病気・入院や手術、そして普段と違う寝台だけでも多くのストレスが患者さんは一度に背負い込むことになるので仕方がないことかもしれない。ストレスに弱い私など必発ではないかと心配している。点滴を引き抜いたり、ベッドから出歩いたりと、せん妄患者さんが一人おられると心身ともに看護師さんを疲労させることとなる。

話しを元に戻したい。胃瘻である。その誤嚥性肺炎の患者さんの嚥下機能を評価してもらうと、口から食べ物をとることは非常に危険であるとの結果でした。自分の唾液さえ飲み込めないとの評価。脳梗塞になって数年経つが、それまでも綱渡りで誤嚥を起こさなかったと推測される。もちろん今回はせん妄状態での飲食が誘因になったのであろう。医療側の結論は 胃瘻による管理が妥当とのこと。胃瘻とは、腹に孔を開け胃に管を留置して直接胃にミルクセーキのような食物を流し込む方法である。

大学勤務時代、アルバイトで長期療養型の病院で当直することがあったが、早朝5時頃から寝ている患者さんに胃瘻から流動食をどんどん繋げている作業を見たことがある。この異様な光景にかなりの衝撃を受けた事を今でも覚えている。植物状態の人や寝ている人に胃瘻を機械的に繋げていくのである。この是非は私の立場では断言できないが、"少なくとも私には止めてもらいたい"と言うのが個人的感想である。あるアンケート結果でも、自分には胃瘻をして欲しくないとの医療従事者の答が多かったと聞いている。

結局、1)胃瘻 2)誤嚥性肺炎の再発や窒息などの危険も承知の上で経口摂取の再開が選択肢として提示し、経口摂取を再開することとなった。その後、患者さんと家族の努力や嚥下チームや病棟看護師の熱意のおかげで誤嚥せず食べられるようになり退院された。もちろん誤嚥性肺炎の再発はあるが、取り敢えずは御自宅にかえることが出来たことを考えると、安易に胃瘻をしなくて今回は良かったと思っている。

医療費の高騰は今後も止まることはないだろう。健康保険の仕組みを見直す事も大事だが、胃瘻の適応なども学会の偉い方々で一定の方針を示してもらえたら、医療従事者が悩みを一人で抱えるような問題も減っていくだろうし、医療費も少しは減少するかもしれない。同様な延命治療として、ガン終末期医療や意識のないような超高齢者透析等の指針も示してもらいたい。治る見込みのあることならば、つらい治療も乗り越えて欲しいと思うが、そうでない場合は慎重な治療方針が必要と考えている。一般に治療選択肢を並列に提示すると、たとえ患者さんにとっては地獄の日々でも家族は延命治療を選ばれることが多い。

日本人の死因

| コメント(0) | トラックバック(0)

現在、日本人の死因のトップはガンで約30%の人がガンで亡くなっています。2位が心疾患の約15%3位が脳卒中の約10%である。ガンと心疾患、そして脳血管で死因の半分以上を占めていることから、日本人の三大死因と言われています。私が学生であった25年程前までは脳卒中が1位であったが、脳卒中や心疾患の死亡率が年々低下しガンがトップになってしまったようである。この原因として日本人がガンになりやすくなったと言うより超長寿国家になったことが原因と言われている。大雑把に言えば、2人に1人はガンに掛かり、3人に1人はガンで亡くなるという計算になる訳だ。毎週のように患者さんにガンの告知をしているような生活をしていたので、いつかは後ろから肩をポンと叩かれて、"ハイ、次は君の番"って言われるても仕方がないと感じている。

私は15年程前から、2?3年に一度 ダイエットくりかえしてきている。

つまり、痩せては太りの繰り返しを続けてきた訳である。

まるで 何度も禁煙をしている喫煙者のようなもので、最近ではダイエットが自分のライフワークではないかとさえ思い始めている。

 

高校時代はラグビー部に所属していたが、その時の体重は57Kg

役に立たない痩せたフォワード選手であった。そんな訳でレギュラーになったのも3年生が引退した2年の秋からで、チームは強かったが 私自身は三流選手であった。

大学時代もラグビー部であったが、筋トレに目覚め一挙に65Kgまで筋肉を付け、研修医時代にストレスと飲酒のせいか70Kg近い肥満に達してしまった。

その後、すくすくと育ち留学から帰ってきた頃には76Kgまで太っていた。振り返れば高校時代から20Kg体重が増えた事になる。ちなみに私の標準体重は65Kg前後である。

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち院長雑記カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは泌尿器科疾患です。

次のカテゴリは内科・生活習慣病です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ