年賀状のビックリ 2017年 東部医師会報から - 2022年1月5日
そろそろ年賀状の注文をしなくてはいけない時期です。インターネットで何でも済ましてしまう昨今ですが、毎年旧知の友人からのもらう年賀状で近況を知るのは正月の楽しみであります。今年も多くの便りをいただきましたが、そのなかでも思わず唸った年賀状の話をしたいと思います。
22年前にStanford大学でお世話になった方がフランスのブーレズ・パスカル賞を受賞したとの報告が年賀状でありました。不覚にもブーレズ・パスカル賞を存じあげていなかったので調べてみるとノーベル賞受賞者も多く受賞しているらしく、受賞者はパリ大学に招聘され1年半の間、研究と講演をする栄誉が与えられるようです。お正月から学問に身を捧げる人の成果を聞けて本物の学者の生き様に感動いたしました。
物理学者ではあるこの方と知り合ったのは、渡米して5日目頃だったと思います。私はお世話になるボスのお宅に居候しながら家族を迎えるための準備をしておりました。広大な大学の片隅にある留学生センターでアパート探しに途方に暮れている時、声を掛けてくれた初めての日本人がこの方の奥様でした。サンドイッチ一つ頼むのも苦労するほどの英語力のため既に疲れ切っていた私をよっぽど哀れに思われたのか、知り合ったその日の夕食に招いてくれたのです。奥様の美味しい手作り料理と日本語の会話で生き返ったことを思い出します。当時の医学系留学生は一様に耐乏留学生活でしたが、ご夫婦は省庁からの派遣なので車も2台支給されてMenlo Parkの高級アパートに住んでおられました(Menlo Parkはアグネスチャンも住んでいたらしいです)。1995年頃はインターネットの創成期でしたので、私はメールを使った経験もなく留学前は米国とはFAXでやりとりをしていました。ご主人に、いきなりメールアドレスを聞かれて恥ずかし思いをした覚えがあります。メールでなんでもできる今とは隔世の感であります。
私の住まいとなったCalifornia ave.界隈ではgoogleなどが産声をあげていたようですがその存在を知るのはもっと後になってでした。Hewlett-Packardの敷地内を通って研究室に毎日通い、Santa Cruzまで波乗りに行くときはApple本社をfreewayから横目で見ながらを古いボルボを走らせておりました。大学内にはMicrosoft社寄贈の校舎も建造中でした。まさにシリコンバレーIT産業の勢いを感じる頃だったと思います。しかしながら私の周りにはIT関係者はおらず、正直言うと当時はその本当の可能性を理解しておりませんでした。ただ、世界中の研究者がStanfordに集い切磋琢磨している事は肌で感じておりました。私のアパートの隣は神戸大学の産婦人科医で不夜城と呼ばれる研究室で猛烈に研究しており、階下はウイーン大学のウイルス学者の家族が住んでおりました。途中でお隣さんが理化学研究所の統計学者に変わったので統計の相談に行ったら、半端なく深い話になりまったく理解不能でしたが数学者の奥深さだけは理解できました。心構えなく気楽に人に聞いてはいけないものだと反省したものです。余談ですが研究室には医学部への推薦状を貰うため研究助手をする学生が数人いましたが、彼らは勉強不足と指摘されることなど恐れず何でも聞いてきました。交感神経・副交感神経の説明からさせられた覚えがあります。私は脊髄損傷センターで膀胱薬理の研究をしておりました。ラットや豚を用いて動物実験をしておりましたが、豚に埋め込んだ圧トランスドュサーのスイッチを入れる役を女子学生からいつも頼まれたのには閉口しました。女性が男性にものを頼むときの仕草は世界共通だと思います。今では脊髄損傷患者への保険適応にもなっているバクロフェン髄腔内投与をラットで行い、排尿筋過活動の抑制を証明したりしていました。また、ロボット工学に応用されるような触覚センサーを用いた薬理実験を日本大学工学部とベンチャー企業と共同でしておりました。昨今の医師不足から人的余裕がなくなったことからか、若い医師の基礎研究や留学の機会が減っているようですがHow to本とガイドラインばかりで進めていく医療を少し寂しく思っています。ガイドラインが作成されるに至った臨床・基礎論文などの背景の理解は臨床現場ではあまり必要とされませんが、いいドライバーは車の仕組みにも精通しているように理論を知る時間も必要なのではないかと思います。
大学周辺のカフェには週末はのんびりと新聞を読んでいる人達が沢山いましたが、“この中にノーベル賞の人もいるのだろうな”と密かに思いながら家族と朝食を摂っていました。今でもStanfordには3〜4年に1回は訪れますが、FacebookやTESLAの本拠地にもなっており時代の流れの傍観者のような気分になり、自分も齢を重ねているのだと自覚させられます。