“東部圏域災害医療コーディネーターの役目と東部医師会の災害対応について”2024年 鳥取県東部医師会報 巻頭言から - 2024年11月23日

                               東部医師会理事 渡邊健志

「天災は、忘れた頃にやってくる」と言ったのは寺田寅彦ですが、近年では「天災は、忘れた頃」ではなく「天災の傷も癒えぬまにまた天災」の様相です。2024年の元旦は能登半島地震(M7.6 震度7)に見舞われ、さらに追い打ちをかけるように9月には豪雨による二重被害が発生しています。記憶に新しい地震だけでも、1995年阪神淡路大震災(M7.3、震度7、死者6000人超)、2004年新潟県中越地震(M6.8、震度7、死者68人)、2011年東日本大震災(M7、震度9以上、死者19000人超)、2016年熊本地震(M7.3 震度7、死者273人)などが挙げられます(国土交通省資料から)。日本は台風、大雨、火山噴火などの自然災害も多く世界の中でも有数の災害大国と言われています。

 私が拝命している災害医療コーディネーターは、阪神淡路大震災・中越地震の経験をもとに2006年から設置され、研修事業が開始されています。私自身は、災害医療については全くの専門外ですが、講習会だけは数回受講しております。講習内容は、災害医療の教科書的内容と災害事例の講義、EMISや災害対策本部での経時活動記録の机上演習などです。そこでは災害医療の基礎知識は得られたものの医師会の災害医療コーディネーターとしての具体的な業務は判然としませんでした。東日本大震災でも震災前に宮城県災害拠点担当者会議が実施され、地域コーディネーターの概要が示されていたものの、各コーディネーターの当事者意識が希薄で具体的な活動や役割の決定はされないままだったとの反省が報告されています。

 そこで、 “東部圏域災害医療コーディネーターの役目と東部医師会は災害対応として何を準備しておかなくてはならないのか?”という2つの視点で災害医療について素人の立場から考えてみます。

 はじめに本県の災害医療体制についておさらいしておきます。災害医療は、発災直後の急性期はDMATなど県外からの支援が中心で、約48時間後ごろからJMATや日赤救護班などの救護班が加わるようです。先の能登半島地震では、鳥取県からもJMATや日赤救護班が災害医療の援助に赴いております。鳥取県が発災に見舞われた場合、鳥取県災害対策本部内に鳥取県医療対策本部が設置され、そこには県災害医療コーディネーターが配属されています。そのカウンターパートとして鳥取市健康こども部長を本部長とする鳥取市医療対策部が設けられ、東部圏域災害医療コーディネーター(地域コーディーネーター)が配置されます。東部圏域災害医療コーディネーターは保健所所長をリーダーとし小児科、産科、透析、医師会、歯科医師会、薬剤師会及びDM A Tから選出された計8人で構成されています。災害医療コーディネーターの3つの目標として 1)人命救助・救急医療体制、2)医療の継続と健康管理、3)保健医療福祉サービスの回復とあります。 

 地域コーディネーターは最も現場に近い具体的活動が求められるコーディネーターです。コロナ禍において、行政からの医師会への主な依頼は“人的資源の供給”でしたが、募集は目隠し手挙げ方式でしたので、周囲の状況も分らぬまま突然の依頼に手を上げる医師は限られていました。この経験から東部医師会の災害医療コーディネーターの主な役割は人集めになるかもしれません。

 次に、医師会の備えはどうあるべきなのでしょうか。個人的な見解ですが、災害時における医師会の役割は、基本的に“平時の医療需要への対応”そして余力があれば“災害時要援護者への対応”になると考えています。まずは自院で地域住民に対する日常医療を継続することに注力し医療難民を作らないことが肝心と考えます。

 東部医師会としては、災害時に混乱なく遂行できるようにタスクを明確にするように行政に働きかけること、そして具体的に示された業務について行政と医師会とが一緒に検討することが必要であると考えます。災害ですので用意周到に準備していても泥縄式に依頼業務が増えていくのは避けられないことですが、平時の準備は必要不可欠です。医師会の仕事として“地元を知らない外部救援者”への情報提供やアドバイスおよびマンパワーが足りない部署への援助などが考えられます。そのことを念頭にして救護チームに協力できる医師のリストを作ることや各避難所と地域診療所の紐づけなども必要になるかもしれません。最も大事なことは“想定される医療業務”を平時の時点で医師会員に周知をしておき、いざという時のための心構えをしていただくことではないでしょうか。現時点は、行政からの具体的タスクの提示を待っている段階と言えます。

 広島県では令和5年度から全国で初めて「防災職」の職員募集が開始されております。コロナ禍では行政の担当者が年度で変わることもあるため、書類上の引き継ぎはされていても精緻な問題共有が足らず歯痒い思いもしました。最近では“防災庁”構想も話題になっております。鳥取県でも24時間365日、災害のことだけを継続的に考えているような行政専門職を育てる必要があるのではないかと思います。

 最後に私自身の地震体験について述べます。2000年の鳥取県西部地震(M7.3、震度6)の震災時には鳥取大学で透析などの業務をしておりました。医局の本棚が全倒する程の震度で、透析室ではポリクリ学生の手を借りて患者全員の血液回収を手動で行なった覚えがあります。難題は続き停電を契機に水処理装置が動かなくなり、業者との電話もつながらないため途方に暮れました。結局、近隣の病院に患者転送し透析してもらうという顛末となりました。災害ではいくら検討しても想定外の事が起きるのですが、それなりの準備はしておかなくてはと思います。

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